おひさしぶりです。制服ぼたんです。
お盆からこっちリアル仕事がハイパーテンションUP!しまして、うっかり飛行機の予約すらスルーするところでした。
忘れんな泣くぞ未来の私が。
当イベの新刊は、やっとこ、なんとかお目にかけられそうなものが出来上がったので、次の更新で、そろっと告知したいと思います。
とりあえず一服的に、書き溜めていた仲花など。
夫婦の経済感覚ギャップってどうなの、という疑問からにょろっと出た話です。
「西の碧」
男はゆったりと、司祭の詠唱のような重々しい声音で言葉をつむぐ。
「奥方さまは、異国のお生まれとお聞きしました。……そのように言っています」
男の背後で腰をかがめてひかえていた老人が、年に似合わないかん高い声でそう言った。
花が、よく知っているものだと目をまるくして男を見ると、彼は日焼けしたいかつい顔を二カッと子どものようにほころばせて、ふたたび知らない国の調べを聞かせた。
「私もまた、はるか彼方よりこの国へとたどり着いた身。おひとりで外つ国へと嫁がれた勇敢な奥方さまに、親愛と敬意を表します。……そのように言っています」
この国の作法とはちがう手順で、けれども優雅に頭を下げた男の頬に、どこか夫と似かよった色の髪がサラリと落ちかかるのを、花は微笑みとともに見守った。
趣味のよい黒檀の卓の上に、ひとつの酒壺、ひとそろえの茶器。
そして、ちょっとふしぎに濃い緑色の、ふたつの杯。
その日の仕事を終え、湯を使って戻った夫婦の寝所に、めずらしく酒肴の準備がしてあったので、仲謀はかるくおどろいて首をかしげた。
どうした、と問いかける前に、彼の帰還に気付いた花が、トコトコと歩み寄ってきた。
「おかえりなさい、仲謀。おつかれさま」
「おう」
にっこりと愛らしく笑って迎える妻に、うなずきながら手を伸ばして、その肩をかるく腕に囲いこむ。いつものどおりの流れだから、花はまったく逆らわず、うれしそうに仲謀の胸に身体を沿わせてきた。
それをしみじみ幸せだと思いつつ、しかし疑問は忘れることなく、仲謀は腕のなかの花に問いかける。
「今日はどうした」
「え?」
あれ、と仲謀があごで卓を示すと、花は予想していたのかすぐに察して、ぱっと彼から身を離した。
そのまま滑るように卓まで歩いていって、杯を手に取りほんわかと笑う。
「この杯をね、今日面会した商人さんからもらったの」
「ああ、あの、西の国から来たってヤツか」
自分も卓に近づきながら、仲謀はなんなく贈り主を当てる。難しいことではない。個人的な客ならともかく、『孫家の嫁』としての花と会おうとする人間は、これでもすべて把握しているのだ。
「そう。あの、わたしたちの、婚儀のお祝いだって」
夫婦になってそれほど間もないため、仲謀の妻あつかいされることに、まだ嬉しさよりも面映さがまさる花は、ぽうっと頬に紅を浮かばせる。
初々しい反応が今日もかわいい、とだいぶ阿呆なことを考えながら、仲謀は花の手首を引いて長椅子に座り、ひょいと透明な緑のかたまりを自分の手に移した。
「へえ、夜光杯か。いい出来だな」
「やこうはい?」
聞きなれない響きに、花はたどたどしい口調でその単語を繰りかえす。
仲謀は空の杯をやや上にかかげて、燭台のあかりに透かせてみせた。そうすると、地色の濃い緑が、光をふくんで上質の緑柱石のような輝きをともしたので、花は素直に「きれい」とため息をこぼした。
「西涼の奥地にある山でしか取れない石を使って作る杯だ。むかしは皇帝にも献上されてたって聞く。上物になると、このあたりじゃ、杯ひとつで屋敷が三つは買えるな」
「うえぃっ?」
とたんに花が珍妙な声をあげて身を引いたので、仲謀は何をいまさらと手のなかの杯を無造作に揺らしてみせた。
「あのなあ、孫家の嫁が、この程度の珍品でビビるなよ」
「び、びっくりするよ!そんなに高価なものだなんて思わなかったから!……ど、どうしよう、これ、もらっちゃったら良くないよね?ワイロとか袖の下とかお代官さま山吹色のお菓子でございます越後屋そちも悪よのうホホホお代官さまこそとか、そういう世界だよね!?」
「まあそうだな。つーかエチゴヤってなんだ」
あっさりと肯定し、仲謀はじたばたする花の頭を片手で押えこんだ。そのついでのようにカツンと杯を卓にもどす仕草がまた粗雑なので、花はあせりで顔を赤くしながら冷や汗を流すという、器用なことをやってのけた。
「お前にこれを献上した商人には、このあいだ、揚州のなかの主要な港での取引を許した。持ち船のうち二隻までは免税あつかいにしてやったから、やつの儲けは、この杯の数百個ぶんにはなるはずだ。ま、その返礼にしちゃ、ささやかに抑えたってトコだな」
「ひゃ……」
「それに、やつも言ったんだろ?婚儀の祝いだって。祝いなら気持ちよくもらってやるのが礼儀ってもんだろ。つまらねぇことは気にすんな」
だいたい、と仲謀はいじわるそうに唇をゆがめた。
「俺たちの婚儀のときに、豪族どもから献上された祝いの品々にくらべりゃ、こんな杯ごとき日用品だろ。……張家の当主がお前にって持ってきた金と宝玉だらけの化粧道具、あれならむこう百年は」
「うぎゃああもういいっ!!聞かせないでーー!!」
くだんの品は、富裕で知られたさる豪族から、どうぞお納めください花嫁さまと差し出されたものだが、あまりの装飾過剰と目が痛くなるようなきらびやかさに「こんなのフツーに使えるのはクレオパトラかマリー・アントワネットくらいだよ!」と全身が引きつってしまった悪夢の記憶を思い出し、花はとうとう長椅子につっぷして頭を抱えてしまった。
ウーウーとうめきながら身もだえる、こっけいな花の動きをながめて遠慮なく笑いながら、一方で、これも教育のうちだなと仲謀は冷静に考える。もともとつつましい庶民育ちだという花には、金銀財宝に関する知識や眼力はない。まして、それらを欲しがるような趣味もない。個人的には好ましい性格だと思うのだが、巨万の富を生みだす揚州に君臨する孫家、その正妻の周囲に財宝が集まってくるのは当然のことだった……そして、それに付随する下心も。
それらを知ったうえで、さらりと身をかわし、ときには毅然として突きかえす度量も、『孫家の嫁』には必要なのだ。かつて父が存命だったときは、その妻だった呉夫人のまわりに、いろいろな商人や豪族が出入りしたがったが、夫人は彼らを品定めして、付き合う人間をうまく取りさばいていた。
例の西域商人は、商売は抜け目ないが性根のわるくない男だったから、慣れるにはちょうどいいだろうと花への目通りを許した。老練な女官をそばにつけて、花が困らないようにさりげなく補佐もさせた。
もちろん、向き不向きというものはある。花が人間の良心をかたく信じ、善意を返そうとする気性であることも。
だが、と仲謀は思う。彼の見立てどおりなら、花は――
「……あの商人さん、『近いうちに、この杯に似合う故郷のお酒を贈ります』って言ってたんだけど」
ようよう混乱から立ち直った花は、そこで言葉を切り、むずかしそうに眉を寄せてうなった。
「要りませんってお断り……するのは、よくないんだよね?それもきっと、商売のお礼なんだろうから」
仲謀はうすく笑って、無言のまま先をうながす。
こめかみに人差し指をあて、花はゆっくりと言葉をさがし、自分の心にあてはめるようにして話した。
「えーと、とりあえず、仲謀の晩酌になるくらいの……お酒一本くらいなら受け取って。あ、お酒のたるが十個とか、そういう量だったらさすがにお返しするよ。あと、私から仲謀になにかお願いしてくださいって言われたら」
「どうする?」
「うーん……通訳のひとにはかわいそうだけど、この国の言葉に訳されなかったことにする」
「上出来だ」
きれいに梳かされていた茶色の髪を、わしわしと撫でてやると、花はちょっと面くらったように目を丸くし、「もう、なにするの」と乙女らしくふくれてみせた。
「やっぱり、お前、向いてるよな」
「え、どこを?」
「そっちじゃねえよ」
見当ちがいに周りをきょろきょろ見わたす、自覚のない『かしこい嫁』を、仲謀は長い腕でかっさらって膝の上に乗せる。そのまま首筋に鼻をよせて大きく息を吸うと、やっと事態を察してあわてはじめた花が、けんめいに手を動かして仲謀の注意を引いた。
「あの、仲謀っ……その、お酒はいいの?せっかくの、きれいな杯」
「今夜は要らない」
そしてつけ加える。梅の花のように色づいた耳を、片手でもてあそびながら。
「杯は、ふたつだろ?お前が酒を飲めるようになったら、いっしょに使う」
仲むつまじい夫婦に置いてきぼりにされた異国の杯は、あきれたように美しい緑の光をまたたかせ、いつとも知れない出番に思いをはせるのだった。
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